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大きな熊、神武を倒す
Photo by AlphaTangoBravo / Adam Baker
カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)は初め、日向の高千穂の宮にいたが、兄のイツセノミコトとともに東方に天下を治める都を造ろうと大和に向かった。瀬戸内海を渡り、難波から淀川を溯上、河内に入り、大和に向かおうとしたが、大和の豪族のナガスネビコの迎撃にあい、イツセノミコトが矢傷を負い、撤退。
カムヤマトイワレビコはこの敗戦を、太陽女神アマテラスの子孫であるにもかかわらず太陽に向かって戦ったためと考え、紀伊半島を南に迂回して熊野から北上して大和に侵入することを目指した。イツセノミコトは熊野に至る前に命を落とす。
カムヤマトイワレビコミコトの軍勢が熊野の村に着いたときに、大きな熊が草木のなかから出たり入ったりして、すぐに姿を消した。
すると、カムヤマトイワレビコミコトとその軍勢はみな急に気を失って倒れてしまった。
このときに熊野の高倉下(タカクラジ)が一振りの横刀(たち)を持って、カムヤマトイワレビコミコトの倒れている所に来て、その横刀を献上したところ、カムヤマトイワレビコミコトはたちまち目覚めた。
そして、その横刀を受け取ると、熊野の山の荒ぶる神は自然とみな切り倒されてしまった。すると、気を失って倒れていた軍隊もことごとく目覚めた。
詳しくは「熊野の説話:神武東征、ヤタガラスの導き」で
◆ 参考文献
武田祐吉 訳注『古事記』角川文庫
宇治谷孟『日本書紀〈上〉』講談社学術文庫
萩原法子『熊野の太陽信仰と三本足の烏』戎光祥出版
下村巳六『熊野の伝承と謎』批評社