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神武東征、八咫烏

カラス Photo by hlkljgk

 カムヤマトイワレビコ(のちの神武天皇)は初め、日向の高千穂の宮にいたが、兄のイツセノミコトとともに東方に天下を治める都を造ろうと大和に向かった。瀬戸内海を渡り、難波から淀川を溯上、河内に入り、大和に向かおうとしたが、大和の豪族のナガスネビコの迎撃にあい、イツセノミコトが矢傷を負い、撤退。

 カムヤマトイワレビコはこの敗戦を、太陽女神アマテラスの子孫であるにもかかわらず太陽に向かって戦ったためと考え、紀伊半島を南に迂回して熊野から北上して大和に侵入することを目指した。イツセノミコトは熊野に至る前に命を落とす。

 熊野で、カムヤマトイワレビコミコトは、高木大神の命令を受ける。
 「ここより奥の方にはお入りなるな。荒ぶる神がたいそう多くいる。いま、天より八咫烏(ヤタガラス)を遣わそう。その八咫烏がお前を導くだろう。その案内する後からお行きなさい。」
 そこで、カムヤマトイワレビコミコトの軍勢は、その教えのままに、八咫烏の後から行ったところ、吉野川の上流に着いた。

詳しくは「熊野の説話:神武東征、ヤタガラスの導き」で

◆ 参考文献

武田祐吉 訳注『古事記』角川文庫
宇治谷孟『日本書紀〈上〉』講談社学術文庫
萩原法子『熊野の太陽信仰と三本足の烏』戎光祥出版
下村巳六『熊野の伝承と謎』批評社

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